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小林 恒夫(こばやし つねお、1911年9月19日 -1991年12月6日)は、日本の映画監督・脚本家。東京都京橋出身。東映で現代劇をメインに撮っていた。 == 来歴 == *1934年、日本大学芸術科を卒業。宝塚歌劇団のレビュー台本公募で入選、上演される。〔『日本映画作家全史 下巻』(猪俣勝人+田山力哉 1978年 社会思想社) P54-56 0174-10929-3033〕〔『日本映画監督全集』 (1976.12 キネマ旬報社)〕〔『日本映画人名事典 監督篇』、キネマ旬報社、1997年 ISBN 4873762081, 〕 *1935年、前年の公募入選がきっかけとなり、同じ東宝系列の東京発声映画製作所演出部に入社して豊田四郎に師事。『若い人』(1937年)、『小島の春』(1940年)のスタッフとして参加する。 *1939年、招集を受け従軍。 *1941、復員し、東京発声映画製作所演出部に復帰する。 *1942年、同社が東宝と合併して以降、戦中戦後を通じて、東宝の巨匠たちや新人時代の黒澤明のチーフ助監督(監督補佐)を務める。 *1947年4月27日、結婚。後、一女を授かる。 *1951年、16年間勤めた東京発声→東宝時代に仕事をしていたプロデューサー松崎啓次に誘われて東横映画に移籍後、ほどなく東映に改組。 *1952年、『人生劇場 (第一部1952年-第二部1953年)』 (佐分利信監督)の助監督を務める。 *1953年、『続魚河岸の石松』(小石栄一と共同監督)で監督昇進。 *1955年、『ブルーリボン新人監督賞』受賞。 *1956年、映画版『少年探偵団』シリーズを初演出する。 *1958年、『点と線』が大ヒットする。映画版『月光仮面シリーズ』を初演出する。 *1965年、テレビ映画の演出を開始する。 その後、テレビドラマ、PR映画の演出を手がける。 テレビ映画では主に東映と古巣の東宝(系列会社宝塚映画も含む)製作作品の演出を多く手がけた。 *1991年12月6日逝去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林恒夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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